東京地方裁判所 昭和43年(ワ)8993号 判決
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〔判決理由〕二 そこで事故と死亡との因果関係について判断する。
<証拠>によると、次の各事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる確証はない。
(事故で蒙つた亡達夫の傷害の程度)
亡達夫は本件事故により右内踝骨折の傷害を負い、昭和四一年五月二六日の事故当日山内外科病院に入院し、同年六月六日観血手術を行つたが、経過はおおむね良好で、同年七月一三日マッサージを開始し、同月二一日退院、その後マッサージ療法を続け、翌八月一六日手術の際挿入した釘を抜去した。同月一八日亡達夫に黄疸が出現した。山内外科病院の初診時には内踝の腫張が見られたが、同年五月三〇日には腫張減退、翌六月四日に創は治癒、六月六日の右手術後六月中に排膿を認めたが七月一日には排膿が止まり、同月一一日のレントゲン所見で骨の癒合は良好となつている。
治療にあたつてはノブロン、クロマイの使用はあるが、右手術において輸血あるいはプラズマ(血漿)の使用された形跡はない。
(肝障害の発現と死亡までの経過)
亡達夫は昭和四一年八月の初め頃より全身倦怠感があり、疲労感が強くなつたのを自覚し、同月一八日頃には更に症状が強くなり、また黄疸症状が現われたため、山内外科病院から内科への転医を勧められ、八月二〇日から更に全身倦怠感増強、八月二三日には全身倦怠感、易疲労、食欲不振、嘔気、頭重感を訴え、黄疸著明となつたため永川下セツルメント病院に入院し、医師赤沢潔の治療を受けたが、翌二四日前記症状は増強の傾向をたどり、翌二五日、二六日には右症状に特段の変化はなかつたが、二七日には息苦しさを訴えはじめ、黄疸は次第に増強し、翌二八日には黄疸増悪、前記症状に加えて腹部の膨満感、不眠に悩まされ、二九日には全身脱力感が強くベッド上で転々とするようになつた。翌三〇日には呼吸困難を訴え、前記症状は増悪し、排尿が困難となつた。翌三一日には傾眠状態を呈し、錯乱状態を示すようになり、九月一日夜には狂操状態を呈し、四肢をベッドにしばりつけたが、大声で叫び続け、胸内苦悶の症状が見られ、翌二日午後二時二〇分死亡した。
(鑑定人の意見)
井上、赤沢両鑑定人とも肝炎についての一般的原因については意見が一致し、又達夫の直接の死因は電撃性肝炎であることは認めている。
鑑定人井上十四郎は、日本における急性肝障害を起す比較的頻度の高いものとしては流行性肝炎、血清肝炎、ワイル氏病、化膿性肝炎などであるとされ、個体が悪環境、悪条件が重なつた場合には電撃性肝炎に移行する可能性は大であるとされ、しかしながら右内踝骨折の手術後の経過は順調であつて悪条件が重なつたかどうか判然としないとされる。そして手術侵襲が血清肝炎、化膿性肝炎と密接な因果関係を有する点は考えられるとしても、電撃性肝炎に移行して死亡したことを直接的に結びつけることは困難であるとされる。
さらに抗生物質(クロラムフェニコール)の服用による過敏性肝障害その他の肝障害を起す原因については結局資料不足のため、何が原因となつて亡達夫の肝障害を起したかを知ることができないとし、結論的に右内踝骨折およびその手術侵襲、抗生物質の服用と電撃性肝炎による死亡との因果関係あるいは寄与の存在については消極的な立場を採つている。
一方鑑定人赤沢潔は、鑑定人井上十四郎と同じく、亡達夫が感染あるいは寄生によつて、あるいは中毒性のうちどのような原因で肝障害を起すことになつたのか、結論的には不明であるとされながら、電撃性肝炎を起させるのは現在の医学上患者がおかれた環境の中で、病源体の毒力、栄養の低下、創傷、手術侵襲等種々の悪条件が重なつた場合に悪化因子を増大させるからだとし、帰納的に考察すると右内踝骨折およびその手術侵襲による悪条件が肝障害を電撃性肝炎に移行させた蓋然性が大であるとされ、困果関係ないしは死亡に対する寄与につき積極的見解を示めされる。
右認定事実によると亡達夫が、右内踝骨折を直接的な原因として肢障害を起したとまでは認められず、又手術侵襲や抗生物質の服用により肝障害を起したとも認めがたい。
しかしながら、何らかの原因によつて事故前あるいは事故後、亡達夫に生じた肝障害を電撃性肝炎に移行するように悪化させた一要因として亡達夫が事故で蒙つた傷害が寄与していることは、いまだ亡達夫が山内外科病院に通院中から肝障害を推認させる症状が現われていることおよび創傷や手術侵襲が電撃性肝炎の悪化因子となるとの医学上の見解から、推察することは可能である。
ところで右述べた意味での関係は肯定しうるにしても、これを肯定的に解する鑑定人赤沢医師も右内踝骨折から電撃性肝炎を起して死への転帰をとることが一般的であるかどうかについては否定的であり、当裁判所に職務上顕著な他の交通事故の創傷例を見ても右の転帰をたどつた例は見当らない。そして、鑑定人井上医師は創傷を受けず正常人と変らない者も突然電撃性肝炎を起して死亡することがあることを肯定する。鑑定人赤沢医師も多少井上医師とニュアンスを異にするが一応右井上医師と同様の結論は否定しない。
以上によれば、少なくとも、事故によつて右のような内踝骨折の傷害を受けたことから、電撃性肝炎に移行することは通常は起らないことであり、本件の場合はたとえ結果的に悪性因子の一つになると帰納的に考察しえても、本件事故との相当因果関係は否定的に解さざるをえない。
三 次に本件事故の態様および過失関係について判断する。
<証拠>によると次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 本件事故現場の状況は別紙図面のとおりである。
(二) 被告千代田は別紙図面のとおりのサンアイ店から出発し、図示のようなコースを通つて、右折のため中心線付近に至つて一時停止をした際、被告車の右折の合図を見て、対向車線の車両が進路を譲つてくれたため、その前方を通つて図示の幅員六メートルの道路に進入しようとした。そして、対向車左端を走行する車両の有無を確認する方法をとらなかつたため、折りから左端を走行してきた亡達夫運転の原告車に被告車左前部フェンダーを接触せしめた。
(三) 亡達夫は原告車を運転し、図示のとおり左端の間隙を時速約二五キロメートルの速度で進行し、本件事故現場に至つた際、左側から交差する道路があり、しかも渋滞中の車両があつて、右前方の見通しが全くきかなかつたにもかかわらず、漫然と前記速度で進行したため、突如渋滞中の車の間から被告車が進出したのに気づいたときは既に遅く、ブレーキをかける暇もなく、自車右側ステップ付近を被告車前部フェンダーに接触せしめるに至つた。
(四) 原告車の進行していた道路は車道幅員一一メートルの道路で交通量も多く、事故時珠玉つなぎの状態であり、左端は原告車が進行しうるだけの余地はあいていた。他方被告車の進入しようとした道路は幅員六メートルであり、原告車の進行していた道路に比すると交通量は極めて少い。
右事実によると、被告千代田は渋滞中の対向車の一部が自車に進路を譲つてくれたとは言え、対向車線左端を二輪車が走行してくることは稀有な事柄ではなく、寧ろ屡々見られるところであるから、特に対向車線左端に対して注意を払うためさらに一時停止するなどの方法をとつて、安全を確認すべきであつたというべきである。(同被告は時速二〜三キロメートルに最除行した旨供述するが、相当緩速度であつたことは推認しえても、中心線付近で一時停止し、それからアクセルをふんで発進したのであるから、二台の対向車の前方を通つた際、ブレーキを踏んだ等の特段の事情がなければ、その速度が維持されたと見るべきである。)よつて被告千代田は民法七〇九条、被告会社は自賠法三条の責任がある。
他方亡達夫も自車の右側を走行する車が、渋滞運転中であるとはいえ、左側に通ずる道路の手前で一旦停止したのであるから、この道路に進入する車輛があることを予測すべきであるのに、道路左端に自車のみが走行する余地が残されていることに気を許して漫然と進行した過失があるので、過失相殺はまぬがれない。被告車が軽四輪、原告車が単車であること、被告車は既右折車ではあるが、原告車進行路は被告車が進入しようとした道路に比して明らかな広路であり、交通量も多いことを考慮し三割程度減額することとする。
(坂井芳雄 新城雅夫 佐々木一彦)